こんにちは、札幌でKANAピアノ音楽教室を主宰していますKANAです。
世界的にも人気の日本の2代ピアノ、YAMAHAとKAWAIの誕生秘話を探っていこうと思います。
山葉寅楠と河合小市と、この二人を支えた人々によって、日本の音楽教育は飛躍的発展しました。
日本で最初の縦型ピアノが製作されたのは、1900年明治33年山葉寅楠と河合小市がいなかればできなかったと言われています。
ヤマハの創業者は、音楽関係者ではなかった。山葉寅楠ってどんな人?
山葉寅楠は、医療機器や時計を修理する職人でした。紀州和歌山藩で天文係を務めた家に生まれたそうです。
そうです!この時点では音楽は全く関係ないお仕事ですね!
医療機器の修理の仕事で、浜松に滞在中、高価なアメリカ製のオルガンの修理を頼まれたのが運命を変えるきっかけとなりました。
1887年の出来事です。
そのオルガンは、今の値段でいうと高級外車ほどで、とっても高価なものでした。そのオルガンを、山葉寅楠は、修理する事が出来たそうです。もちろん、オルガンを見たのはこの時がはじめて!
凄いですよね!!天先的ですね。
この日が運命の分かれ目となり、初めて触れたオルガンの構造に大きな関心を抱き、こう思いました。
●これは、日本でもつくれる!
●これから需要がある!全国の学校から必要とされる!
●日本の国益のためにも、日本製をつくらなければ!
という思いで、オルガン製造業をはじめました。
事業が軌道に乗ると、オルガンに続きピアノ製作にも着手しはじめたのです。
ピアノ製作は、簡単ではなかった。1万この部品からなるピアノ
ピアノのつくりはとても繊細で、1台のピアノをつくるのに部品の数は1万個、長い年月がかかります。
山葉寅福にとって、ピアノの製造はそんなに簡単ではありませんでした。そんな中、11歳の河合小市が山葉のもとへ、入社してきたのです。河合小市は、とても数学が得意で、手先が器用な少年でした。ピアノのアクション作りに苦戦していた山葉寅福の救いの神となったのです。
そして、1900年に日本製のアクション作りに成功しピアノ第一号の完成となりました。
山葉寅楠は、現在のYAMAHA
河合小市は、現在のKAWAI
現在、この二社は世界的にも高評価を受けるピアノとなっています。日本の中古ピアノは、海外でとても高価に取引されているほどです。